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豊田の写真展

2013年10月26日 22:09  

豊田の写真展

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左から

昔の一般車のトヨタコロナ。
パプリカだかパブリカだかがあった頃。
猿投方面はまだ道路も舗装されておらず、外のガラス戸が跳ね石でしょっちゅう割れていたのを、紙でペタペタ補修したのを覚えています。(わかる人だけわかります)

トヨビル。
ここの地下街で、うどんやラーメンを食べた覚えがあります。外にお好み焼き屋さんがあって、緑の紙で包んでくれた。旨かった。
取り壊しの時は寂しかったな・・・。

豊田市駅前のロータリー。
すぐ横に2階に上がる喫茶店がありました。左にレコード屋さん。(今、オバチャンショップだと・・・思う)

豊田の駅前通り。
今のコモ側にあったのが槌屋旅館(うろ覚え)。
田舎のバスはおんぼろ車~♪のバスです。

豊田市駅前。
相方が高等学校行く時にしょっちゅう歩いて通った道。
おんぼろ車のバス(国鉄の省営バス)が昔の郵便局があったところ・・・こないだつぶれたファミレスのところが、停留所。

竹生通り。
よく学校の帰りに、鈴彦さんで立ち読みしてました。
今じゃ怒られちゃうけどね~。



Posted by 無有のかぁちゃん │コメント(14)
この記事へのコメント
いつ頃の写真なんですか~??

今とは全く違いますねぇ。
想像できな~い(笑)
Posted by ドキンちゃんドキンちゃん at 2013年10月27日 00:20
うわぁ~すごい!
いいもの見せて頂きました。
ありがとうございます♪
Posted by はなまま*はなまま* at 2013年10月27日 00:47
ドキンちゃん

ちょっと前の写真ですよ。笑
これら、福祉センターに展示してありました。
1959年に豊田市新制ですからね。私たち猿投地区がトヨタになったのは1967年。そのころはまだ「大字」「字」を使ってました。

大体、これらの写真は50年ほど前の写真たちですよ。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2013年10月27日 07:46
はなままさん

面白いですね。
私は歴史が(と、言うか社会科という学科全部)大嫌いでしたが、最近、豊田市の歩みなど本屋さんで見るうちにちょっと興味がわいてきました。
何せ、昭和ってのは大好き。

福祉センターには昔の洗濯機、手回しで脱水するタイプのものや、足踏みミシンなど、少数ながらも展示してありました。とても楽しかったです。
また見る機会があったらぜひ足を運んでみてくださいね。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2013年10月27日 07:49
懐かしいなあ、槌屋旅館。
ヤッちゃん、ノーちゃん、ミヤ子さん、達者かな。
昭和33年、まだ挙母のころ仕事で滞在しました。
駅近くに越後屋という旅館もありました。
Posted by たまねぎ at 2013年12月15日 09:00
たまねぎさん

もう、当時とは全然違いますよね。
そのころにもう少し道を広く取っておけばよかったのに。
車の町なのに、道路が狭いですよね?

でも、あの頃から昭和終わりまでくらいは活気づいてたのに。
今じゃ何か中心街、寂しいです。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2013年12月15日 22:35
懐かしい写真を偶然見つけ、1年ほど滞在した当時の思い出にひたっています。

15、6年前、40年ぶりに駅前通りを歩きましたが、もうすっかり変わってしまい、記憶に残るものは何もありませんでした。

モダンな街並みでしたが、たしかに、道は狭いままでしたね。矢作川に立派な橋が架かってびっくりでした。
Posted by たまねぎ at 2013年12月16日 19:24
たまねぎさん

このブログが、誰か一人の記憶をよみがえらせてくれる・・・そういうお手伝いができただけでも、嬉しいです。

豊田市になってから変わり、それから近年、市町村合併によって新生豊田市になってから変わり・・・。
変わっていく世の中についていけない部分もあります。

銭湯も映画館もなくなりました。
あるといいんだけどな・・・。また映画館が建設予定のようですよ。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2013年12月16日 21:14
本当に、いろんなことが少しずつ思い出されて感慨ひとしおです。いまは喜寿、当時は22、3歳でしたから...

ボンネットバスにも、トヨタの仕事で通うのに毎日乗りました。駅前通りと国道の交差点を少し瀬戸方面に行ったところが停留所でした。瀬戸追分発下渡刈経由岡崎行きの国鉄バスでしたね。
Posted by たまねぎ at 2013年12月17日 20:22
たまねぎさん

そうそう、国鉄バス。
省営バス。

歴史は変わる、と言うか。
何かしら面影を残しつつも、数十年のスパンでえらく変わってきます。
そんな歴史を辿ると、何かこう・・・不思議な気分。

実は数十年前の方が都市だった、とか。
ありますもんね。
人間は何を追っていくのでしょうか?
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2013年12月17日 21:54
一枚の写真が呼び覚ました我が青春の記憶の一断章。

古い街並み、未舗装道路の土ぼこり、世話好きだった槌屋旅館の女中さんたち、矢作川の岸辺の月見草.....。

あの薄暗くてやかましくて埃だらけの工場だったトヨタが世界一の大メーカーに。その黎明期にそこで仕事をしたんだ。

コタツにくすがって燗酒をなめながら家内に思い出話を聞かせるのも悪くないですね。
Posted by たまねぎ at 2013年12月19日 23:07
やっぱりアピタの裏に銭湯あったよね?
Posted by ぷ~ぷ~ at 2013年12月19日 23:48
たまねぎさん

奥様も喜んでお聞きくださると思います。
こんなに変遷した町、なかなか面白いですよね。
トヨタ自動車も随分と変わったのでしょうね。
紡織工場から自動車工場になって、まだ礎を築いている時にたまねぎさんが活躍されたのでしょう。
今のトヨタ、たまねぎさんたちあってこその形です。お疲れ様でした。
ありがとうございます。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2013年12月20日 19:14
ぷーちゃん

つい、近年まで「鶴の湯」あったよ。
でも2Fが浴場だったから、天井が破れちゃってた。見てびっくりしたもん。
アート座もよく通った。映画館。
ドラえもんの映画を見たりもしたな。

アピタだったね、生活倉庫アピタ。長崎屋と同じ系列のお店なんだよね?私は長崎屋が大好きだったよ。3階のエスカレーターを降りたところにアイス屋さんがあってさ。そこでアイス食べるのが楽しみだった。
アピタはさ、5Fだったかな、いろんな雑貨が売っててね。見てるだけでワクワクしちゃってた。買いやすいお店だったよ。
無印良品の偽物みたいな「私と生活」なんて言うシンプルな商品を置いてるお店もあったな。パクリみたいだったけど。

とりあえず、あぁいったお店が消えることは残念でならない。
豊田市が発展しないのは、市民の生活に根付いていないからかも。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2013年12月20日 19:18
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    コメント(14)