2014年01月07日 22:54  

死に方



色んな死に方があるんですね。

でも、これは「命を大切に」って啓発だと思います。
こんなコミカルに描かれると拍子抜けちゃう感じするけど。
でも、こういう形だからこそすんなり受け容れられるのかもしれません。

みなさん。
命は大切に。
死ぬときにゃ、死にます。
死なない人間なんちゅうもん、見たことがないし、聞いたことがない。
おったら紹介してください。
死は「絶対」で、「100%」なんですよね、生まれた限り・・・。
だから、大丈夫。
慌てて死ぬ必要はありません。
生きて、生きて、生きまくれ。
でも、精進するだけの人生なんてつまらんの。
人間、どんだけ楽しめるか。これが勝負よ。
他人と勝負なんてせんでもいい。自分自身との勝負なんです。

死んじゃうような病気にかかってもね・・・死ぬ瞬間までは生きてるんです!!
当たり前なんだけど、これってどこか置き去りにされてる感じ。

愛する人のために生きてください。
そういう人がいない、って人は、私のために「無有のかぁちゃん」のために生きてください。
あなたは十分に役に立ってる人だと思います。



Posted by 無有のかぁちゃん │コメント(15)
この記事へのコメント
どういう経緯でこの動画を発見したのか?
気になるなぁ!

>死ぬ瞬間までは生きてる
ってイイネ!
ホントその通り!

私、ワイドショーなんかで
正月そうそうとか成人式目前、結婚式を控え
などなど
なんかお涙頂戴みたいな感じにするのが
すっごくイヤなのね。
どんな時だろうが死ぬ時は死ぬから
って思っちゃうんだ・・・
冷たい人間かもしれん><
Posted by ののかめ at 2014年01月07日 23:15
明日目が覚めたらラッキー

目が当然のごとく覚めて当たり前と思ったら大間違い

一分一秒先の運命何て誰もわかりはしないわね^^
Posted by ぷ~ぷ~ at 2014年01月07日 23:26
突然に兄が亡くなって、初めて「死」を身近に感じました。
「死」を感じてこそ「生きてる」実感があるそうですよ。
両親のためにも親より先に死ねない!と思ってるけどね~。
Posted by 小島 at 2014年01月07日 23:44
あ~ビックリした
近々宣告受けた人が、近くにいるものだから
タイトル、あまりにシュールで
無有のかぁちゃんさんが、オイラんち見ているのかと

絵の件、了解
Posted by りんこりの at 2014年01月07日 23:51
愛するものよ、
ただ生きてくれ。
Posted by ピカイチ北村ピカイチ北村 at 2014年01月08日 00:34
あたしね。
死にたいって思ったことあるの。
カミソリ持って。
そんなんじゃ死ねないのに。
今は、大丈夫だよん。
母は、オムツ替えてベットに寝かせたら
心臓とまっちゃいました。
一生懸命、心臓マッサージしたんだけどな。
父は、心配で気になって
家に行ったら亡くなってました。
思い出したけど、寂しくないよ。大丈夫!(*^_^*)
Posted by はなまま*はなまま* at 2014年01月08日 00:43
>かぁちゃん
なんか的外れなコメントしてる、私。
いつでもいいので、削除できたらしてくださいな。
Posted by はなまま*はなまま* at 2014年01月08日 09:23
ののかめちゃん

それこそ、先日のアンテナじゃないけどさ。
私の周波数に引っかかってきた。笑

冷たい人間ってのは、どうかな?って思うんだけどさ。
私は「死」ってものは、過程の一つに感じてるんだよね。
だから私の考え方だって「死」に関して冷たいって事になる。
ただ、誰かの死だけが特別じゃない。
誰の死だって、誰の生だって特別で、オンリーワンだと思うのね。

事故で死んだとしても。
病気で死んだとしても。
老衰で死んだとしても。

その人の人生、ギュギュギュ~って凝縮して濃縮して詰まってる。

本当に死ぬときには死ぬんだよ。
でも、死ぬときでないから今、私たちは生きている。
いつも心掛けておきたいね。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年01月08日 14:31
ぷーちゃん

その通りなんだよ。
今、ここにいること自体が奇跡なんだから。
この地球上に何人の人様がおられるか知らないけど、いっぱい人様がいる中、こうしてブーログを選んだ自分、そしてブーログの中からコメントする人を選んだ自分。

もしかしたらね、すべては偶然だけど必然なのかもしれないね。
タイミングって計られてるのかも知れないし、図られてるのかも知れないし、謀られてるのかも知れない。
ご縁が袖振り合うも他生の縁、って言われるけど。
どんだけ近くにいても、会わない人には全然会わないもんな。
私たちの何か、見えない物がこのご縁を司ってるのかもしれないね。

今、ぷーちゃんがここでみんなに発信する情報なんてものは、ぷーちゃんからしたら「自分のたわいない日常」かも知れないけど、実はすごく意味があって、人様に勇気や希望、楽しさを与えていたりする。ぷーちゃんの人柄がそうさせるんだよね。毎日、気づかないうちに徳を積んでるんだよね。
謙遜することじゃないよ。自信もって生きててください。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年01月08日 14:37
小島さん

本当に私もその通りだと思います。
「死」は終わりじゃない気がするんです。
自分は焼かれてはいさようなら、かもわからないけど、遺された人たちはそれぞれの辛さや苦しさ、悲しさを乗り越えて笑顔を取り戻すまでの課題が課せられ、また供養をすることによって、亡くなった方の生き様・死に様を語り継いでいくんです。それが次第に風化される・・・嫌な言い方ですが、風化されるって、美化されることだと思うんです。故人がね、美化されたとき、ようやくこちらの執着が離れた時なのかも知れないです。
だから死んだ人も遺された人も、どちらにしても死は生きているうちの一過程であり、大きな試練であり、テストだと思うんです。人間力のね。

死んだ後のことは誰にもわからない。
ただ、死んだ人が帰ってきた、ってことを聞かないので、よっぽどいい所に行くのだなぁ、って思う。こっちに戻りたくないくらい、愛する人がいる現世よりもっといい場所に行くんだろうね。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年01月08日 14:44
りんこりのちゃん

ごめんよ~。
何かでも、もしかしたら、ここで私が偶然この記事をアップしたこと、そしてりんこりのちゃんが偶然この記事をキャッチしたこと、どちらも計算されてたのかもしれません。

こういうのをシンクロって言うんだろうね。
ちょっとした大したことじゃないような気がするのだけど、不思議な気持ちになる。

私はね、お化けとかわからないけど。
でも、見えない事が見えることよりも多いことは頷けます。
「おもてなし」だって見えない事です。
「感謝」だって見えないことです。

人の命にクリスマスも正月もないからね。
ただこの命の炎を燃やしている間は限りがあるってことだ。
不完全燃焼しちゃいけないし、させちゃいけない。
最後まで「日常」をどれだけ維持できるか、大切だよね~。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年01月08日 14:49
北村さん

そう、行きつくのはそこだよね。

欲から、親は子供に勉強ができてほしい、いい学校や会社に入ってほしい、安定した生活を送ってほしい、ってどんどんエスカレートする。

でも、忘れちゃいけないのは、もうただ生きているだけですごく立派であり、名誉であるってこと。
生きていること、もうそれだけで100%完全だってこと。

いつ何が起こるかわからないこの命。
だからこそ、一瞬たりとも無駄には使えない・・・。
毎日、「無事」であることがいかに奇跡であるか。
ありがたいです。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年01月08日 14:52
はなままさん

いっぱい辛いこと乗り越えてきたね。
でも、ご両親の亡くなり方は、本当に幸せな終え方だと思わないかな?
愛する娘が最後、そばにいてくれて。
はなままがやってきたことが、今のはなままを形成してる。

死にたいくらいに辛かったころのはなまま。
ご両親はそれも一緒に持って行ってくれたんだね。
やっぱり子供はいつまでたっても子供だよ。
親は抜かせないね・・・。

今、はなままがここにいること。
それは人を幸せにするのと同時に、はなまま自身がもっともっと楽しむためでもあると思います。
私ははなままのブログを読んで、ささやかな幸せや温もりを毎日感じさせてもらってます。
ここにいるはなまま、過去の辛いことや失敗はね、傷じゃないんだよ。それだけ磨かれたって事。磨くってのは研磨するって事。宝石も傷をつけながらピカピカにしてくんだよ。はなままの大事な糧なんだよ、きっと。

的外れなコメントだなんて言わないで。
はなままのしまいかけていたこと、丸めて捨てちゃいたかった事、吐き出すとほら、ちょっと恥ずかしいようなすっきりした気分にならない?
はなままの中にも色んなはなままがあって当然のこと。機械じゃないんだから、人間なんだから。
ただ一つ言えること、ご両親があってこそ、命があってこそ、今ここにはなままが存在することです。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年01月08日 15:00
かぁちゃん、ありがとう。
うちの親、ほんとに幸せな死に方したんだわ。
もー後のこと考えんでさ。
母もね、眠るようだったんだよ。
二人とも苦しむ姿見せなかった。
私、幸せだよね。
ありがとう。
Posted by はなまま*はなまま* at 2014年01月09日 00:34
はなままさん

そうでしょ、そうでしょ?
自分が死ぬとき、誰にそばにいてほしい?
子供でしょ?家族でしょ?
病院のモニターにそばにいて欲しい人なんている?
白衣を着た人についていて欲しい人なんている?
いないよね。

はなままが望むにしろ、望まないにしろ。
ご両親、本当に嬉しかったと思う。

私ね、いっぱい看取ってきた。
おばあちゃんが死ぬときにね、もうそろそろ親族とかに連絡をして、って先生が言った。さぁ、それじゃ電話しようか・・・って思ってたら、また先生が入って来てね。「まだ何か?」と思ったら「ご臨終です」ってさ。呆気にとられちゃった。親戚を呼ぶ間もなく死んじゃったよ・・・。でもね、昏睡になる直前に、「ありがとう、ありがとう」って。それが聞けただけでも、もう宝物のような気分。今でも思い出すと感激と感謝で涙が出てくる。
悲しくて辛くて悔いが残るから涙が出るんじゃなくて、その反対。命の尊さを見せてくれたことに感謝、生き様を見せてくれたことに感謝、最後まで愛させてくれたことに感謝。
もう、「ありがとう」しかないんだよな、この世の言葉で表現するのであれば・・・。

私もはなままも幸せね。大好きな人の旅立ちを、卒業を見せてもらえたんだから。そして今、生きている時よりも身近にいてくれるんだろうね。死んでからもやっぱり一緒なんだね♪
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年01月09日 22:13
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
死に方
    コメント(15)