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すごく疲れた訳

2014年09月22日 20:14  

すごく疲れた訳

今日はすごく疲れました。

オバアチャマのデイサービスの送り出し。
たったそれだけの事。

でもね。
人間って、嘘をつくとき、かなりのエネルギーを要するみたいです。
疲れますし、疲れました。

相手が認知症であっても、やはり自責の念に駆られます。

今日、デイサービスに行くバスが9時40分のはずでしたが、遅れてきました。
オバアチャマには・・・
「浄水が拓けたんで、コーヒー飲んで、銭湯に入って、ランチして帰って来ましょう」
って・・・。
嘘ですよね。
正解は
「デイサービスに行って、お茶色した白湯を飲んで、全身洗浄して、給食食べて、お遊戯して帰って来ましょう」
です。

はぁ~っ。

車に乗り込む振りをして、「あっ!!」
「ガスを消し忘れたので、後からすぐに車で追いかけます」って・・・。
走って物陰に隠れました。

なんか、騙してるみたいで、すごく辛くて。

認知症の人は、確かに記憶は残りにくいとは思います。
でも、感情や洞察力などは、認知症であってもきちんと残ってます。

これは誰のためにやっていること?
自分に質問しても、「オバアチャマのため」って回答できないんです。
自己満足なだけじゃないのか?
私は私自身がオバアチャマの汚いのに対処できないだけじゃないのか。

逃げてるのかなあ。

オバアチャマ、本当にごめんなさい。
できない奴です、私。
あなたの思うようにしてあげたい。
でも、結果としてあなたをいつも不穏にさせてしまう。
あなたの笑顔を見るためにはどうしたらいいですか?

あなたが望んでいることが、理解できません。
ごめんなさい。



Posted by 無有のかぁちゃん │コメント(8)
この記事へのコメント
その矛盾…何年も、何回も感じながら体験しました。
これから先、何度も何度も繰り返されると思います。

あまり深く考えないで。
ここでこうして吐き出して、明日はまた笑顔で送り出してあげましょう。
Posted by ぽちこぽちこ at 2014年09月22日 20:32
ぽちこさん

ありがとね。
やっぱり先輩の生の声に救われてます。

今まで認知症だとわかっていながらも、何もできる立場ではなく、ようやく介護認定に辿り着け、スタート地点に立てた。
でも、ホッとしたのと同時に、これからこういう騙し合いが続くと思うとうんざりしちゃうのも本音です。

認知症と言う病気だと割り切って、深く考えないようにしてるつもりなのに、どこか、やっぱり期待しちゃってるのかな・・・。

ぽちこさんのこの言葉、今、すっと胸に痞えていた物がどいてくれたように感じました。
また、喝を入れてください。
何度もしつこく、この発作の波は訪れると思いますので。
どうか、お願いします。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年09月22日 21:00
私もいろいろな葛藤がありましたよ。
母の事でね。
でもね、その事ばかりに没頭してたらかあちゃんの心が
壊れるよ。私がそうだったから・・・・
あまり重く考えないで、オバアチャマも感謝してるよ。
Posted by ぱくちゃん at 2014年09月22日 21:27
今日からデイサービス?

おばあちゃま楽しんで帰って来てくれてたらいいね^^
Posted by ぷ~ぷ~ at 2014年09月22日 21:50
かあちゃん、そんなに自分を責めてはいけません
かあちゃんは充分お母様のために尽くしてきました
でも、もう限界だったんです
でなければかあちゃんのほうが先にどうかなってしまっています
何を優先するかはもう結論が出たはずです
せめて空いた時間を有効に使ってほしいと思います
お母様も施設に行ってしまえばすぐ忘れるはずです
なにもかもうまくは運びません
聞き役ならいつでもOK
ここでいっぱい吐きなさい
春ちんも母にはいっぱい嘘を言って見送りました
でもしかたがないと飲み込みました
Posted by 春ちん春ちん at 2014年09月22日 23:58
ぷーちゃん

昨日からデイサービス開始でした。
まずは週2から始めてみよう、とのことだったんだけどね。

どうだったのか、ちょっと後の事を見てないので何とも言えないな。
明日にでも、お世話になってる老人ホームに電話して様子を聞いてみようと思ってます。

ぷーちゃんには先輩として色んな事、レクチャーしてもらってるので。
他にも、はなままや、春ちんや、先輩方が親身になってくださるので、私、あんまり凹まずに済んでます。

でも、やっぱり重かれ軽かれ、罪の意識に苛まれる道は通るべきものなのでしょうね。
これからも、どうかご指導よろしくお願いします。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年09月23日 20:18
春ちん

いつも、いつも、何か優しくしてくれて。
私を泣かせるよね。
でも、ありがとね。

見送るのが目的。
私の見解では、認知症は死への恐怖を和らげるためのクッションだと思ってます。それは死に対する恐怖の大きい人へ、神様からのギフトなのかもしれない、って考えてます。

私の方は、それでも、専門家たちがお風呂や食事の面倒を見てくださるので、空いた時間に会いたい人に会っていただいたり、自分の仕事を片付けたり、時間的に余裕が出てきました。
本当に「え?これ(自由な時間)もらっていいの??」って感じです。

今まで、自分を枠にはめて、縛っていたんでしょうね。
もっともっと頑張らなくちゃ、って思ってたかも。
でも、今、みんなが助けてくれる。
話を聞いてくれる。
励ましてくれる。

こんな幸せな介護生活はありませんね。
本当に心から感謝してます。

これから、色んな問題が浮上してくるのは当然でしょう。
すべてが初体験だから。
でも、そのたびに、先達たちの体験談を自分の介護の中で生かせていけたら、って思ってます。
これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
いつもありがとう。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年09月23日 20:25
ぱくちゃん

ありがとう~。
ぱくちゃんも乗り越えてきた道だもんね。
ぱくちゃんにできて、私にできない訳がない!
・・・って思って尽力せんとな。

自分だったらどうだろう?
って、オバアチャマに対して考えたら、スパイラルにはまっちゃう。
自分だったら放っておいて欲しいかも、とか。
自分だったら・・・

ただ、認知症の場合はさ、本人も少なからず錯乱してるのかな。
自分で自分の事がわからんようになっちゃう病気でしょ。
本人が一番辛いんだろうな。
たまにふと、昔の自分に戻ったとき、不安で不安で仕方がないんだろうな。

人間の終焉に携われるだけでも、私にとってプラスだと思う。
いかに最期をその人らしく迎えてもらえれるか、・・・。
でも、私がそんなことできるようなタマでもないや・・・。笑

いつもありがとね。
ぱくちゃん・・・。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年09月23日 20:31
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