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愛は通じるのかも

2014年02月27日 00:50  

愛は通じるのかも

今日、私は茂子を叱りました。
理由は「ガブッ」をしたからです。
犬の口は人間で言うと手なんです。
でも、どんな理由があろうと、「ガブッ」は許されないんです。
勿論、茂子は噛んだ訳ではありませんし、「かぁちゃん、ウザイ」くらいの気持ちだったんでしょう。
でも、めちゃくちゃ叱りました。
人間社会で飼われている犬として生きる以上、どんなことがあっても人間に歯を当てることは許せません。
私は茂子のマズル(口吻)を思い切り噛みつきました!

ところが・・・。

今まで、茂子は叱ると逆切れして牙を剥いていたんです。
だから叱る時も私自身が負傷をしないように配慮してました。
そして、叱り終えた後も反抗して唸ったり攻撃的な態度をとっていました。
ある意味、柴犬の怖さです。獣医が柴犬を怖がる所以でもあります。
却って萎縮させて、距離が離れるのを感じることもしばしばありました。

でも、茂子は今日、私に素直に叱られてたんです。
そして、叱られてから、私の目を見て傍らで伏せました。

家の中に入れてどれくらいになるだろう・・・。
本当に茂子が変化しつつあります。
無有や命にも変化は現れていて、今まで他犬が私に叱られると自分が叱られたような気になって情緒不安になっていました。
でも、私は誰を叱る時も敢えて、他犬が見ている前で叱って、フォローをすることにしています。

今日、茂子を叱り、そのあと、あまりにお利巧だったのでハグハグして褒めちぎりました。
無有も命も安心して、その過程を見守っていました。逃げようともしませんでした。
何か、そういうところに「愛」を感じたりするものです。

これに正解、不正解はありません。
私にやり方に疑問を抱く人もいるかと思います。
が、それぞれの家庭にルールがあるように、それは自由であると思います。
ただ、犬が社会に於いて人に対して迷惑をかけることのないように教育するのが飼い主の責任だと思うんです。

叱っておいて不思議な感覚なんですが、絆が深まった感じがします。
今もこうして、私の足元で私の事を見ています。その目は優しいです。
愛を持って接する、感情を持った動物にはいつか伝わるのですね。

愛は通じるのかも

私が保護犬たちと家族になって、本当に幸せを感じる瞬間です。
お互いがお互いの事を少しずつ、理解し、信じ、頼り・・・そして支え合うようになる。
この子はきっと、もっともっと良い子になる!

愛は通じるのかも
無有や命も壮絶な犬生を辿り、今、私たちは絆で結ばれているのです。
1匹最低3年はかかりますね・・・。
茂子もまだまだこれからですが、試練はチャンスですから。




Posted by 無有のかぁちゃん │コメント(8)
この記事へのコメント
かぁちゃん、勉強になります!
やはり、どんな事でもそうですが、
『愛』ですよね。
愛情を持って接すると、たとえ相手が
物言わぬ動物でも心通じ合える事が
出来ますね。
うちも、日向が男性が怖くて、旦那に
噛みついたりします。
でも、それには理由があるんですよね…
まだまだ、これからですね(*^^*)
頑張ります(^_^)v
Posted by らむ美 at 2014年02月27日 12:22
いい教育だと思っています
成犬から管理することは非常に難しいと思います
違った環境で育ってきたのですから・・・
ましてや保護犬ともなれば人間に対して不信感はあるはず
確かに柴犬は自分を主張するといいますのでよけいの厄介ですよね
でもその分、飼い主に従うようになれば、また愛情も倍増ですよね
ワンコとの付き合いも人間と同じように真剣勝負だと思います
Posted by 春ちん春ちん at 2014年02月27日 13:14
らむ美ちゃん

私もまだまだ。
私は無有のかぁちゃんになって11年、命のかぁちゃんになって5年、茂子に関してはまだ2年。
ようやくひらがなを覚えて、九九を始めた感じなんです。2年生ですから。
私はこの子らによっていろんなことを学ばせてもらってます。これは謙遜でも何でもなく、いつもそう思えます。
で、私が飼ってあげたとか、命を救ってあげたとか、そうじゃないんですね・・・。もう本当に単に神様からのギフト「ご縁」だったんですね。

私はね、犬の命を救ったのかも知れない。でも、私の命が犬によって救われた、ってのが本当のお話です。

命なんていつも「福の神」に見えてくるもん、拝んでる。笑

らむ美ちゃんとこに来たレオ君や日向君もね、ただ偶然に来たんじゃない。らむ美ちゃんが引き寄せたんだと思う。そして、ピンチはチャンスなんだと思う。これから大どんでん返しが起こる。日向君の男性克服が最初の宿題なのかも。

何か思うの。犬が何かを克服した時、自ずと自分も何かを一緒に克服してるんだなぁ、って。と、言うことは私と犬、経験を共有してやはり磨き合って成長していくんだなぁ、って。
不安はいつか自信になります。必ず・・・。だから傷ついても愛を与えるのをやめないでください。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年02月27日 21:31
春ちん

ありがとう~。
本当に春ちんの言う通りなんです。
柴犬の気質ってものがあります。もちろん、純粋な血統の柴なのでその気質を受け継いでいるのでしょう。
そこに今までの環境と言うものが加算されます。
その環境と言うのが驚くほど辛いものだったと聞いてます。
60センチの短い鎖でつながれっぱなし、散歩もなし、家の中を覗けば小型犬が家族にちやほやされているのが目に入る、最後の日も家族である飼い主ではなく、全く無関係な私の姉が連れてきました。「いつでもいいから勝手に持ってって」だそう。
私はその家族の顔すら知りません。挨拶もありませんし、その後の音沙汰なんてあるわけもありません。
7年間、茂子は凛ちゃんとして何を思ってたのかな。

でも、小型犬を飼うと、前の犬って可愛くなくなりますか?
保健所に引き取ってもらいたくなりますか?
単純にそういう人間って幸せになれるんですか?
疑問に思えてしまいます。

何か、春ちんのコメントに救われた気分になったよ。
叱るってすごくエネルギーのいる行為です。叱られる方よりも叱る方が辛かったりする。だから昔から「愛の鞭」と言う言葉が使われるのかもしれません。
ありがたく見守ってくださってありがとうございます。感謝。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年02月27日 21:39
叱るっていうのは上目線なんだよね
上目線っていうことは自分がお手本になってなきゃできない行為だよね
叱るっていう行為の奥にはその対称物(茂子)によくなって欲しいと思う、かあちゃんの深い愛があるからなんだよ
その奥まで茂子は計り知ることはできないだろうけど、後で強くハグしたことでかあちゃんを信頼しボスと思ってくれたんだろうね
飴と鞭の繰り返しだよ、理屈では理解できないからね
全くかあちゃんの言うとおりだよ
犬に限らず生き物と接することで自分がそこから学ぶことができるんだよね
ありがたいありがたい
Posted by 春ちん春ちん at 2014年02月27日 22:06
ワンちゃんは飼った事がないけど
色々勉強になりますねぇ。

先日テレビで「犬の十戒」を知りました。
涙が出たわね。
無有のかぁちゃんなら知ってるかもしれないけど
知らなかったらネットで見てみてね。
Posted by 小島 at 2014年02月27日 23:00
春ちん

その通り。
叱るって行為は、お手本が前提となってる。
また、怒るとは全然違うものだけどね。これは感情だからさ。

本当に春ちんの言う通りなんです。

犬って・・・
犬だけじゃなく、動物なんてさ、きっと、人間が思っている以上に何かを感じ取ってるのかも知れないね。人間の目線で見るのとはまた違う感性で。そして本当は人間なんて見透かされてるんだろうな、ってたまに思うよ。笑

でも、春ちんのコメントに愛を感じて舞い上がってます。
ありがとう。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年02月27日 23:38
小島さん

勿論、犬の十戒は知ってますよ。
映画にもなりました。(犬と私の十の約束だったかしら?映画自体はあんまり思ったよりも残念だったけど)

そう、私は彼らが虹の橋に行き着くまで、彼らが幸せを感じれるように環境を整備していくボランティアなんです。
だから十戒の最後の10番目にあるように。
Go with me on difficult journeys. Never say, "I can't bear to watch it ." or " Let it happen in my absence." Everything is easier for me if you are there. Remember I love you.
私はずっとそばで見守り続けます。彼らが私の腕から完全に卒業するまで。

3匹の犬を自分の腕の中で旅立たせてやりたいです。
きちっと老衰でね。
Posted by 無有のかぁちゃん無有のかぁちゃん at 2014年02月27日 23:43
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    コメント(8)